
偉人の名言366命日編〜人生が豊かになる一日一言〜
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3月22日 胡桃沢耕史(作家)
稿料格安 締め切り遵守 胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 – 1994年3月22日)は日本の作家。 1955年のデビュー作『壮士再び帰らず』で第7回オール讀物新人賞受章から、1983年の『黒パン俘虜記』での直木賞。 『〆切本』という興味深い本がある。明治以降の数多くの原稿締め切りを守れない作家たちの〆切を巡るエピソードが満載の本だ。この中に胡桃沢耕史が載っている。ある記者の「作家名刺ホルダー」には取材した多くの作家の名刺を収められており、胡桃沢耕史の名刺の右肩には「稿料格安 締切厳守」というメモが書かれていたという。源氏鶏太の『精力絶倫物語』は胡桃沢がモデルというから魅力のある快男児だったのだろう。自由奔放な行動派作家というイメージだが、意外にも締め切りを守ることを信条としていたのである。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月21日 四代目 江戸家猫八(落語協会所属の物真似芸人)
仕事を全うしたい 四代目江戸家 猫八(えどや ねこはち、1949年11月30日 – 2016年3月21日)は、動物の声帯模写を得意とする、落語協会所属の物真似芸人である。 2016年3月8日の『徹子の部屋』に、四代目猫八、二代目小猫で出演した。私も見た。この時の「親子競演動物モノマネ芸」をユーチューブで改めて見たが、ウグイスやカエルの鳴き声の競演は実に楽しかった。親の猫八はすでに胃がんに冒されていてやや痩せていた。その猫八は「仕事を全うしたい」と入院を拒否していたのである。これが最後の仕事となった。その心意気には感ずるものがある。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月20日 須賀敦子(随筆家、イタリア文学者)
書くべき仕事が見つかった。いままでの仕事はゴミみたいなもんだから 須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日 – 1998年3月20日)は、日本の随筆家・イタリア文学者。 18歳で洗礼を受ける。24歳で渡欧、以後日欧を往き来する。 少女時代から「書く人」になりたいと願った。書くということは「息をするのとおなじくらい大切なこと」という須賀は、『ミラノ 霧の風景』から始まる完成度の高いエッセイ群によって、たどってきた時間を生き直したと『須賀敦子を読む』の著者・湯川豊はいう。信仰と文学の一体化を実現する小説の道を発見した須賀敦子が語った「書くべき仕事が見つかった。、、」は、死の直前の1998年2月4日の言葉だ。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子)を彷彿とさせる。孔子の言う道は真理という意味であるが、須賀敦子の場合は自分の進むべき道であったろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月19日 夏樹静子(小説家、推理作家)
この本を、私に心身の健康を取り戻して下さった平木英人先生に捧げます 夏樹 静子(なつき しずこ、1938年12月21日 – 2016年3月19日)は、日本の小説家、推理作家。 内科と心療内科の医師である平木英人は「典型的な心身症」という診断を下し、自律訓練法、森田療法、絶食療法などで、自身の心では支えきれなくなったワーカホリック夏樹静子から別れ、出光静子への再生を図り、ようやく平穏な日々が訪れる。そしてまた本の執筆が始まる。冒頭の感謝の言葉には、万感の思いが凝縮されている。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月18日 稲森俊介(実業家)
一人ひとりの能力を最大限に発揮しよう 稲森 俊介(いなもり しゅんすけ、1930年8月29日 – 2011年3月18日)は、日本の実業家。 冒頭に掲げた言葉は、業績不振に陥ったカルピスを立て直すときの社員に対する明快なメッセージだ。経営の再建にあたって社員への激励という急所を抑えたマネジメント、トップとしての引き際の見事さなど、この人の人生観などはもっと深追いしたい。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月17日 永井道雄(教育社会学者、文部大臣)
教育の主役は、幼稚園から大学院までの教師だ 永井 道雄(ながい みちお、1923年3月4日 – 2000年3月17日)は、日本の教育社会学者。文部大臣(第95代)。 永井のメッセージは、制度改革は教育現場の教師を支援するものであり、主役たちが力一杯働ける姿を取り戻すためだった。幼稚園から大学院までの教師たるものの果たす役割は大きい。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月16日 笠智衆(俳優)
地道な努力というものも、だれも気が付かないようでいて、結局は、次第に人の目にも立つようになるものらしい 笠 智衆(りゅう ちしゅう、1904年(明治37年)5月13日 – 1993年(平成5年)3月16日)は、日本の俳優 笠智衆自身の自己診断は「下手、不器用、素質もなく、要領も悪い」である。その笠を五所平之助、木下恵介、岡本喜八、山田洋次、小津安二郎ら巨匠がよく使った。地道な努力の積み重ねが、次第に薄皮をまとうことになり、いつかその衣を人が気づいてくれるということなのであろう。笠智衆は日本最高の老け役となって私たちのまぶたに生き続けている。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月15日 清水一行(小説家)
なぜ、ぼくに声をかけてくれないのか。雑巾がけでもなんでもするから、仲間に入れてくれ 清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12日 – 2010年(平成22年)3月15日)は、日本の小説家。 森村誠一によれば、角川事件の発生に際して、作家仲間、俳壇、ファッション業界、棋会、法曹界、出版業界などに広く呼びかけ、「角川書店を守る会」を結成したとき、清水一行氏に呼びかけなかった。冒頭の言葉は、清水一行からの電話であり、森村は感激している。角川から多くの書物を刊行している清水は、この会では受付を担当したそうだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月14日 円城寺次郎(ジャーナリスト、日本経済新聞社社長)
椎名君、日経は新聞も出している会社にしたいんだよ 園城寺 次郎(えんじょうじ じろう、1907年4月3日 – 1994年3月14日)は日本のジャーナリスト、日本経済新聞社社長。 円城寺次郎は経済審議会会長などの公職も務めるなど、叙勲の対象だったのだが、「新聞記者は勲章を欲しがってはならない」と、叙勲を辞退しているのもすがすがしい。 その円城寺は「日経は新聞も出している会社にしたいんだよ」と言った。その相手は新聞のコンピュータ化のプロセスで親しくなった日本IBMの椎名武夫だった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月13日 川村勝巳(大日本インキ社長)
会社の経営は、ある意味で不況の方がやりやすいこともある 川村勝巳(かわむら かつみ。1905−1999年)は、東京商大卒業後、三井物産に入社。その後退社し化成品の会社をつくる。大日本インキ(現DIC)社長。 不況はチャンスであると川村は言う。好況時は実力以上に業績があがり、組織は膨張し、社員は興奮し勝手な行動をとるようになる。不況は広がり弛んだ組織を引き締めるよい機会になる。減量し付加価値を高め、来たるべき時期に備えることができるのである。個人においても同様で、不遇の時は実力を蓄える時期と考えるべきなのだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月12日 桂文枝(上方の落語家)
無知であることは恥ずかしくない。無知に甘えることこそが恥ずかしいのだ 5代目桂 文枝(かつら ぶんし、1930年4月12日 – 2005年3月12日)は上方噺家(上方の落語家)。 TBS系クイズ番組『東大王』(日曜夜7時)に出演した東大大学院修士課程1年の伊沢拓司は、落語家・桂文枝さん(5代目)の言葉を知り、座右の銘にしていると語っている。知らないことを知ったように取り繕うのではなく、知らないことなら知ろうという姿勢に感心したのだろう。 5代目桂文枝は無知を克服しようという心構えで、日々努力し噺家として大成したのだろう。無知に甘えることは恥ずかしい。自分を甘やかしてはいけない。人生は終わりなき学びの旅なのだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月11日 上村松篁(日本画家)
鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない 上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年(明治35年)11月4日-2001年(平成13年)3月11日)は日本画家。 上村松篁は鳥の写生にこだわった。インド、オーストラリア、東南アジア等を旅行して鳥を観察している。また、アトリエの敷地にも大規模な禽舎(鳥小屋)を設け、1,000羽を超える鳥を飼って生涯にわたって観察を続けていた。精進を重ねた母の影響、そして本人のあくなき探究心、それらがこの言葉を生んだことがわかり、その重みに粛然とする。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月10日 山口昌男(文化人類学者)
自分のやりたい研究に指導教官など、この世にいないものと思え 山口 昌男(やまぐち まさお、1931年8月20日 – 2013年3月10日)は、日本の文化人類学者。 山口昌男は、アジア・アフリカ・南アメリカなど世界各地で単独行のフィールドワークを行った文化人類学者である。 山口昌男は、自分がやりたい研究を自分の力で成し遂げ、独自の理論を発表していった。梅棹忠夫は文化人類学の唯一の方法は「比較」であると言っていたことを思い出した。誰にとっても未知の分野に進むには、確かに指導教官など不要である。凜々たる勇気と自前の武器で未知のフィールドを探検したいものだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月9日 石田晴久(計算機科学者)
インターネットのある生活 石田 晴久(いしだ はるひさ、1936年10月30日- 2009年3月9日)は、日本の計算機科学者。 石田は「多くの人がインターネットを駆使して生活を豊かに楽しくしてほしいということです。この夢ははたしてかなえられるでしょうか?」と結んでいる。それから20年、この予言すべてが常識となった。石田晴久というパイオニア精神あふれる祖父のおかげで、孫の我々は「インターネットのある生活」を享受できるようになったのである。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月8日 池田満寿夫(芸術家)
すべての創造は模倣から出発する。創造が真の意味の創造であるためには、その創造のための模倣が、創造的模倣でなければならない 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年2月23日 – 1997年3月8日)は、従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。 「創造的模倣」を強調する池田満寿夫はあらゆる表現のジャンルを渡り歩き、独創的な仕事をし続けた。模倣から始まって各分野の意味を先達以上に深く理解し、彼等を刺激するイノベーションを起こしていったのである。それは経営学のドラッカーの言う「創造的模倣戦略」そのものであった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月7日 黒岩重吾(小説家)
阿騎野の朝に志を立つ 黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 – 2003年3月7日)は小説家。黒岩重吾は、同志社在学中に学徒出陣で北満州に出征する。敗戦の逃避行で、朝鮮経由で内地に帰還。復学後、株で儲けて酒色に溺れるが、ある日全身麻痺に襲われて3年間の入院生活を送る。 「阿騎野の朝に志を立つ」は、柿本人麻呂が「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の 立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」と詠んだ阿騎野で古代を舞台に歴史小説を書くことを決心した立志の言葉である。古代史の舞台となった場所で生まれ育ち、百舌鳥古墳群の近くで遊んでおり、中学では飛鳥を中心にして古墳を利用した軍事練習をしており、古代史の舞台には馴染みがあった。その地で黒岩重吾の志が立った。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月6日 多湖輝(心理学者)
動けば必ず何かが変わります。動けば必ず何かがわかります。動けば必ず何かが身につきます。動くことによってあなたは強くなってきます 多湖輝(たご あきら、1926年2月25日 – 2016年3月6日)は、日本の心理学者。 千葉大学助教授時代の1966年に出した『頭の体操』シリーズはベストセラーとなり、それ以来この本はいまだに売れ続けている。その結果、「頭の体操」という言葉は、今では普通名詞のように使われている。 多湖輝は、動けばいい考えが浮かび、考えることができるようになってくるという。確かに友人のアイデアマンたちは常に動き続けている。SNSでそういった姿を見ることができるようになり、その確信が深まっている。健脚が優れた発想を生むのだ。頭は足でできている。人間は考える葦ではなく、人間は考える足なのである。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月5日 納谷悟朗(俳優、声優、ナレーター、舞台演出家)
ただ声を当てればいいと考えている声優が多すぎる。目の前に客がいると思っていない 納谷 悟朗(なや ごろう、1929年11月17日 – 2013年3月5日)は、日本の俳優、声優、ナレーター、舞台演出家。 この声優という仕事を草分けとして世間に広めたのが、納谷悟郎という人である。「ただ声を当てればよい」と考える声優の存在を納谷は憂えているのだが、その後輩の一人に接してみて感じたことは、職人的にその仕事を深掘りしている仕事師の存在があり、その憂いが届いているということである。先達の姿、声、残した言葉などを受け継いで、声優という職業が、ひとつのジャンルとして確立していると思った。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月4日 半村良(小説家)
地図でカミソリで裂け目を入れて出来た楕円の空間に架空の土地を作れば、それがすごくリアルになるんだ 半村 良(はんむら りょう、1933年10月27日 – 2002年3月4日)は、日本の小説家。 銀座もの、新宿もの、などの現代風俗小説と、季節感に彩られた「浅草案内」などの下町もので知られる。職業は「嘘屋」と称した半村良は「伝奇SF小説」と呼ばれるジャンルを開拓した。 99%は徹底した真実を描く。その残りで嘘をつくという手法だった。土地の植生、その日の天気、など十分な仕込みをして、地図の切れ目に、独自の秘境をつくりだすのである。だから、その嘘に読者はさわやかにだまされる。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月3日 村松増美(同時通訳)
私も英語が話せなかった 村松 増美(むらまつ ますみ、1930年7月31日 – 2013年3月3日)は、同時通訳の草分け。 著書『私も英語が話せなかった』はベストセラーとなった。国際化時代の人間国宝・村松増美も、英語がだめだったという逸話が満載の本である。珍訳、迷訳、失敗談のユーモアあふれる筆致が楽しめる。後に国際ユーモア学会の理事をつとめた著者のユーモア感覚で書かれたこの本は、英語を学ぼうとした人からよく読まれた。英語の達人が私はこうやって英語を克服したというタイトルではなく、「私も英語を話せなかった」という真逆のメッセージは当時の日本人を大いに励ました。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月2日 久世光彦(演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー)
うまくやろうと思うな。その先に広い世界はない 久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 – 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。 私は久世光彦という人物をみて、「美しいもの」に対する執念を感じる。大学で美学を専攻したこともその現れだろう。映像と文章という手段を使って、上手に表現しようというのではなく、美しいものをとことん追求した人生だった。その久世は、師匠・森繁久弥よりも早くこの世を去ってしまう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
3月1日 かまやつひろし(ミュージシャン)
ジャンルは関係ない。自分が活性化する。思わず夢中になってしまう一瞬が持てる相手に出会いたいといつも思っている かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 – 2017年3月1日)は、日本のミュージシャン。通称「ムッシュ」。 「ザ・スパイダース」のメンバー。ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名。 かまやつは、酔っ払いでも、生活破綻者でも、だれでも、いい音が出せればいいと考えて、誰とでもつき合った。いい音をへの嗅覚には自信があった。「わくわくするようなグルーヴ」を求めた生涯だった。守りに入らず、自分を常に活性化していこうとする生き方はいい。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月29日 鏡里喜代治(元大相撲力士)
10番勝てない時だ 鏡里 喜代治(かがみさと きよじ、1923年4月30日 – 2004年2月29日)は、青森県三戸郡斗川村(現・青森県三戸郡三戸町)出身の元大相撲力士。第42代横綱。 1958年1月場所で不振だった鏡里へマスコミが横綱の責任とは具体的には何かと問い、「10勝勝てない時」に責任を果たせたとは言えないと回答。10勝にわずか1勝届かなかったため、潔く引退。 出処進退のきれいな有言実行の横綱だった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月28日 山下俊彦(実業家)
一番気を付けなければならないのは報告ですね。それも、相談する形で報告するのが、一番大切です 山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2012年2月28日)は、日本の実業家。松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)の3代目社長。 山下俊彦は若い頃から「仕事は仕事、人生は人生」と割り切り、本をよみ、山に登り、碁を打った。自分の時間を大事にした人だ。社長になってからも、「(創業者に)気配りなんかしていたら、仕事にならんですよ」と思い切って仕事をした。仕事に関する名言が多いが、特に「相談するという形で報告する」という知恵には同意する。そして山下俊彦は楽観的な精神で社長業をこなし、終わったら会長にはならずに、相談役に退いている。この人には何か人間としての健やかさを感じる。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月27日 西田善夫(スポーツ評論家、NHKアナウンサー)
笑顔の優勝です。泣かない優勝です 西田 善夫(にしだ よしお、1936年2月8日 – 2016年2月27日)は、日本のスポーツ評論家。NHKアナウンサー。 西田は1976年のモントリオールでは女子バレーの決勝戦を担当し、山田重雄率いる新・東洋の魔女の優勝時に、「笑顔の優勝です。泣かない優勝です」と実況した。それまでの優勝者は必ず泣いていたのだ。西田善夫の名実況は「泣く」がキーワードだった。2018年の平昌オリンピックが終了したばかりだが、時代が変わり、泣く人もいれば笑う人もいる。アスリートたちが活躍する名場面と実況は多くの人に感動を与え長く記憶に残る。時代と人物と歴史的場面にに立ち会うアナウンサー、特にスポーツアナウンサーという仕事の面白みはそこにある。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月26日 宮脇俊三(編集者、紀行作家)
彼ら(車窓風景)は見てくれと私に言う。しかし同時に、おれのことをお前、書けるのか、と言っているように思われる 宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年12月9日 – 2003年2月26日)は、日本の編集者、紀行作家。 宮脇俊三はのめり込んだ対象(車窓風景)から、「おれのことをお前、書けるのか」と挑まれている。ある対象(例えば人物)に惚れて没頭してそれをまとめようとするとき、その擬人化された対象から「俺を書けるか?」と挑戦される心持ちがするときが私にもある。宮脇に倣って「人物記念館極道(?)」への道を歩むことにしようか。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月25日 飯田龍太(俳人)
誰もが感じていながら、いままで、誰もいわなかったことを、ずばりと言い止めた俳句。それが名句の条件である 飯田龍太(いいだ りゅうた、1920年7月10日 – 2007年2月25日)は、山梨県出身の俳人。国学院大学で折口信夫門下に入る。国文学者か小説家になろうとしたが、兄3人が死に大庄屋飯田家を継ぎ、父の俳句結社「雲母」も継ぐことになった。 山梨に旅して文学館を訪れると飯田蛇笏と飯田龍太親子の本や句集が目に入る。龍太は親の七光りかと思って敬遠していたが、間違いだった。龍太は蛇笏と並ぶ、いやそれ以上の俳人だったのだ。「龍太の時代」と言われるほど、俳人だけでなく同時代の文学者たちに愛され、影響を与えている。龍太の指摘するこの名句の条件をめぐる言葉は、感じてはいたが表現できなかったことをずばりと断定してすがすがしい。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月24日 前畑秀子(水泳選手)
練習中、泳いでいながらプールの中で汗が流れるのがわかった 前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年(大正3年)5月20日 – 1995年(平成7年)2月24日)は、和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。 前畑は、 自分は天才ではなく、普通の少女であり、練習に練習を重ね、自分を鍛えたと語っている。冷たい水の中で汗が流れるのを感じる。フジヤマのトビウオ古橋が指の間に膜ができたと言っていたのを思い出す。水泳だけでなく、相撲でも野球でも名をなしたトップアスリートたちはみな「自分は天才ではない、努力型だ」というから、謙遜ではなく実際にそうなのだろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月23日 片倉もと子(民族学者、文化人類学者)
砂漠のままの文化を大切にしたい 片倉 もとこ(かたくら もとこ=素子=・旧姓新谷、1937年10月17日 – 2013年2月23日)は、日本の民族学者・文化人類学者。 片倉もと子は砂漠の魅力に取り憑かれた一生を送り、日本沙漠学会副会長もつとめた。砂漠文化の伝承のために遺産を寄付し、それが財団となって「志」が継続していく。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月22日 隅谷三喜男(経済学者)
きみたちが専門と定めたことを学ぶとともに、人間とは何であるか、人生とは何であるか、という問いについても考えてもらいたいと思う 隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26日 – 2003年(平成15年)2月22日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。 冒頭に掲げた言葉は1981年に刊行されよく読まれた岩波ジュニア新書『大学で何を学ぶか』の最後のページの言葉である。それから30数年経って、その意味も変わってきた。「専門」は他領域からの侵入によってアッという間に溶解してしまう。「人間とは何か」は、脳科学の著しい進展、AIの登場、2045年のシンギュラリティの到来予測などによって、人類にとって最大で最新のテーマとなっている。また「人生とは何か」は、人生100年時代を迎えようとしている21世紀前半の時代では、生物学的な存在の意味を超えた広大な時間と空間が、その意味を切実に問いかけてくる。隅谷の言う「人間とは」「人生とは」は、普遍的な問いかけだったのである。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月21日 石橋信夫(実業家、大和ハウス工業社長・会長)
私は経営を耳で学んだ。これこそ生きた経営学である。私は学問はないが「聞学(もんがく)」は習得した。これが何よりの武器なのである 石橋 信夫(いしばし のぶお、1921年9月9日 – 2003年2月21日)は、日本の実業家。大和ハウス工業の社長・会長をつとめた。 この石橋の武器は耳学問だった。それを「聞学」と呼んで意識的に精進したのだ。人に会い最先端・最前線の人々からエキスの話を聞き、考え、そしてまたカンドコロを聞き、考え抜く。こういった生きた経営学でくり返しヒットを生んでいったのである。学歴はすぐにひからびる。生涯を通じての学習歴の積み重ねこそが重要であることを石橋信夫の「聞学」は教えてくれる。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月20日 金子兜太(俳人)
長年の間に亡くなった人で、自分にとって印象に残っている人たち、お世話になった人とかいろいろいろ、つまり私にとって大切な、特別な人たちですが、その名前をずうっと言っていくのです。今、二百人くらいになっているかな 金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 – 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の俳人。加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。 冒頭の言葉は毎朝唱える「立禅」と自ら呼んだ方法である。坐禅ではなく立って行う。縁のあった人々を思い出しながら生きていることに感謝する儀式だ。最後は、両親と妻の皆子さん、それに飼っていた犬猫で終わるとか。金子兜太は「長寿への意志」をはっきりと持って生きていた。この快老人は95歳では確か「百五才を目指す」と宣言していたのだが、本日98歳で逝去。百歳にわずかに届かなかった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月19日 鄧小平(政治家)
改革・開放には大きな肝っ玉が必要だ。正しいと思ったら大胆に試してみよ 鄧 小平(とう しょうへい、中国語読み:ドン シャオピン 、IPA:[tɤŋ ɕjɑʊ pʰiŋ]、1904年8月22日 – 1997年2月19日)は、中華人民共和国の政治家。 身長150センチと体は小柄ながら、大きな肝っ玉で、改革・開放路線を大胆に掲げ、大きな号令で推進し、中国を豊かにした功績は計り知れない。この人の粘り強さと大いなる手腕には感銘を受ける。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月18日 津島祐子(小説家)
不運なことだけど、不運に溺れていると不幸になる 津島 佑子(つしま ゆうこ、1947年3月30日 – 2016年2月18日)は、日本の小説家。本名は津島里子(つしま さとこ)。 この「不運と不幸」は津島祐子が長男を亡くしたときに太宰治の妻だった母が語った言葉である。偶然に訪れる幸運に舞い上がることなく、そして不運に埋没せずに、自分の足でしっかり生きよと励まされたのであろう。この母も偉かった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月17日 藤田まこと(俳優、歌手、コメディアン)
役者は権威と箔がついたら終わり。平でいたい 藤田 まこと(ふじた まこと、1933年4月13日 – 2010年2月17日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン。 「後ろは振り返らない。前に進めなくなっちゃうから」とい言う藤田まことは、権威と箔を嫌い、一から次の仕事に立ち向かい、役者として成長を遂げていったのだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月16日 船村徹(作曲家、歌手)
俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ 船村 徹(ふなむら とおる、1932年6月12日 – 2017年2月16日)は、日本の作曲家・歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長、日本作曲家協会理事長。横綱審議委員会委員。 夭折した親友・作詞家高野公男の「俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ」という言葉が船村の指針となった。船村徹の歌には栃木弁のアクセントがあり、地方出身者の悲哀や希望を込めた叙情豊かなメロディーが大衆の心をつかんだのである。船村徹は二人分の人生を生きた。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月15日 武田豊(実業家)
皆からリーダーは見つめられている 武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日-2004年2月15日)は、日本の実業家。宮城県高清水町出身。新日本製鐵(新日鉄)代表取締役会長、経済団体連合会(経団連)副会長、日本鉄鋼連盟会長などを歴任した。 大脳生理学からみてリーダーは6つのことを身につける修練が必要だそうだ。「活力」「意志力」「責任力」「包容力」「知識力」「説得力」。戦いの時、リーダーは全員から見られている。いや、見つめられている。リーダーの弱気や逡巡や迷いは、すぐにフォロワーに伝染し、志気が衰える。武田豊のいう「皆からリーダーは見つめられている」は、そのような立場にある時には常に心したい言葉である。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月14日 中嶋嶺雄(政治学者、国際社会学者)
日本だけで通用した東大を頂点とする身分属性の『学校歴』よりも個人が国際社会で渡り合える知的経験、『学習歴』が大事です 中嶋 嶺雄(なかじま みねお、1936年5月11日 – 2013年2月14日)は、日本の政治学者、国際社会学者。社会学博士。専門は現代中国政治。東京外国語大学学長、国際教養大学学長、公立大学法人国際教養大学理事長をそれぞれ務めた。 キャリアについては「職歴ではなく仕事歴。経歴ではなく経験歴。学歴ではなく学習歴」という考え方を私は持っているが、国内のみで通用する学校歴よりも国際社会で渡り合える学習歴が大事だという中嶋嶺雄の思想に親近感を持つ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月13日 鈴木清順(映画監督、俳優)
不得手なものからは奇蹟は生まれない 鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年5月24日- 2017年2月13日)は、日本の映画監督。俳優。 さて、鈴木清順の人生を眺めると、大きなブランクが2回ある。合わせて16年間という長さである。納得のいかない仕事はせずに、自分の撮りたい映画を好き勝手につくった。得意な技を磨きあげて、奇蹟を起こしたということだろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月12日 石井慎二(誌編集者、洋泉社代表取締役社長)
自然に依拠し、移り変わる四季のなかで営まれている農の世界に身を寄りそわせること、そして、そこで自らの力によって創造していく、新しい自立自尊の生き方のいっさいをさして、、田舎暮らしと呼ぶ 石井 慎二(いしい しんじ、1941年6月22日 – 2010年2月12日)は、日本の雑誌編集者、洋泉社代表取締役社長。 冒頭の言葉は、石井慎二が行き着いた田舎暮らしをすすめる理由である。バブルの頂点の時代その後の人々の生き方に大きな影響を与えた思想となった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月11日 玉置宏(フリーアナウンサー、司会者)
一週間のご無沙汰でした 玉置 宏(たまおき ひろし、1934年1月5日 – 2010年2月11日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者である。 歌謡界、歌手、歌詞についての豊富な知識、「同じ曲紹介は絶対しません」と毎回ナレーションの内容を考える誠実さ、そしてしゃべり芸へのあくなき向上心。玉置宏の独特な存在感は昭和という時代の一つの象徴でもあった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月10日 石牟礼道子(作家)
銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順番に、水銀母液ば飲んでもらおう。、、、上から順々に四二人死んでもらう。奥さんに飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか 石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年3月11日 – 2018年2月10日)は、日本の作家。 何もなかった状況に戻って、失われた日常を取り戻すことが、患者や家族たちの本当の願いだ。それがかなわないから補償という次善の策になった。それでも償おうとしないことに当事者も、そして石牟礼も怒りを持つのだ。石牟礼道子の誕生日の3月11日は、奇しくも2011年の東日本大震災の起こった日である。原発の災禍に見舞われた人たちの姿がだぶって見える。原発事故に水俣と同じ構造をみていたのである。死去の翌日の2018年2月11日の朝刊を手にすると、日経新聞の「春秋」、東京新聞の「筆洗」、朝日新聞の「天声人語」、毎日新聞の「余録」も、石牟礼道子の死と『苦海浄土』を取り上げていた。石牟礼道子の仕事は尊い。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月9日 高野悦子(映画運動家、映画プロデューサー、放送作家、演出家)
興業という、文化から程遠いところで仕事をしていますが、志だけは高く持ってきました 高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 – 2013年2月9日)は映画運動家、岩波ホール総支配人、映画プロデューサー、放送作家、テレビドラマ演出家。 冒頭の「志だけは高く持ってきました」は、文化功労者の授賞式での高野の言葉である。女性のロールモデルはなかなかいない。この人には、師匠、友、仕事量、志、構想力、修養、日本など、私の考える偉人の条件がすべてあてはまる。高野悦子は高い志を、一生をかけて実現した偉大な聖人である。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月8日 江副浩正(実業家)
自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ 江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月12日 – 2013年(平成25年)2月8日)は、日本の実業家。特例財団法人江副育英会理事長。株式会社リクルートの創業者。 「自ら機会を創り出し、 機会によって自らを変えよ」という短い強烈なメッセージは、若者の野心を引き出し、飛躍し続ける多くの事業家を育てた。江副浩正のこの貢献は忘れてはならない。自分の最大の教育者は自分自身なのだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月7日 河上和雄(検察官、弁護士、法学者)
はたして、この仕事だけで一生を終えていいのか? 河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 – 2015年2月7日)は、日本の検察官・弁護士・法学者。東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し弁護士となった。駿河台大学名誉教授。作家の三好徹は実兄。 自分なりの決め事、判断基準を持っていた河上は、意義のある仕事の限界をみて、先の見えない人生を歩むことを決断している。ひからびた精神状態で過ごすであろう高い地位を捨てたその後、監査役などで関与した企業などは、ニチレイ、京都ホテル、キューピー、リキッド・オーディオ・ジャパン、ルシアン、遊戯産業健全化推進機構、石油資源開発、ROKIなどだ。2007年には、74才で『折鶴』『宗谷岬』などのヒット曲を持つ歌手の千葉紘子(63才)と再婚している。そしてテレビの真相報道 バンキシャの『ご意見バン!』としての発言している古武士の風格がある姿はよく知られている。没するまでの20数年間は、退屈ではなかっただろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月6日 渡辺和博(編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイスト)
主張と収入の和は一定である 渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年2月26日 – 2007年2月6日)は、日本の編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイストである。 34才で華々しく世に出て56才で夭折した人なので、同世代の私もこの人には興味がある。「主張と収入の和は一定である」は、コツコツ働いてある程度の高収入を得るか、言いたいことを言って低収入に甘んじるか、という選択を迫る言葉のように聞こえる。宮仕えの一面をえぐった言葉であり一理はあるが、グラデーションが濃くなるように自己主張をしだいに強めながら組織の階段をのぼっていく中間的なやり方もある。階段をのぼると制約が増すのではない。収入も増すが、それ以上に自由(主張)が拡大するのである。この妙味を渡辺は知っていたかどうか。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月5日 高橋竹山(津軽三味線の名人)
ヘタな三味線では、だれも戸を開けてくんねえ 初代・高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年6月18日 – 1998年2月5日)は津軽三味線の名人。地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。 門口に立ち芸を披露して金品を受け取る形式の芸能を門付と呼ぶのだが、「ヘタな三味線では、だれも戸を開けてくんねえ」は竹山が若い自分の東北・北海道での門付の経験からでた言葉である。社会の底辺で生き延びるために、閉ざされた戸を開かせようと必死で三味線を弾いて腕を上げたのである。その「じょんがら」を弾く三味線捌きは、人々の魂を揺さぶった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月4日 芦野宏(シャンソン歌手、声楽家)
シャンソンは『こころの歌』とも言われていますが、歌い手の人柄や人生が、歌の中に現れてくるものだと思います 芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 – 2012年2月4日)は、日本のシャンソン歌手、声楽家。 芦野が歌った「幸せを売る男」の歌詞は「心にうたし 投げかけ歩く 私は街の 幸せ売りよ いかがですか そわかときくあ いかがですか ありがとうは 私どもの商売は 幸せ売る商売 夏も秋もいつの日も 歩きまわる仕事あなた方が悩み深く 笑うことを忘れた時 この私を思い出せば 悩みなどは消えて笑顔」である。 「歌い手の人柄や人生が、歌の中に現れてくる」。これはある歌い手に対して芦野が語った言葉だが、それは芦野自身についても言えることだろう。「幸せを売る男」の歌詞と歌う姿を思い出すと、シャンソン歌手としての芦野は、まさに幸せを売る男だったという感じがする。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月3日 三浦朱門(作家)
失敗談を語れ 三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年(大正15年)1月12日 – 2017年(平成29年)2月3日)は、日本の作家。日本大学芸術学部教授、文化庁長官(第7代)、社団法人日本文藝家協会理事長(第7代)、日本芸術院院長(第4代)などを歴任した。 三浦朱門は過去の成功を語るな、威張るな、そして失敗談を語れと言う。自分を客観視してその滑稽さを笑う、そういう中から若い人が何か参考にしてもらえばいいという。そういえば、福沢諭吉は常に失敗したことしか語らなかった、偉い人だと感心したと後に山本権兵衛が言っていたエピソードを思い出した。なるほど、それなら山ほどある。失敗を語ろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
2月2日 山内一弘(プロ野球選手(外野手、監督、野球解説者、評論家)
ボール二は打つところが五ヶ所ある。内側、外側、上、下、真ん中だ 山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年5月1日 – 2009年2月2日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者・評論家。 冒頭に掲げた「ボールには5ヶ所打つところがある」は、広島の高橋慶彦にコーチした時の言葉である。高橋はこんなことは初めて聞いたと驚いている。研究心が垣間見えるエピソードだ。一筋に取り組む職人的姿勢は山内自身をつくったのにとどまらず、同僚、後輩に多くの影響を与えた。それがプロ野球の交流に貢献を果たすことになった。どのような分野でも、こういう人は貴重である。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB